その42
記録について
投稿日:2002/06/02(Sun) 23:53:00


 前に読んだ本(※)にこんなことが書いてありました。
 昔、ある料理人が画家の横山大観に会った時に「我々の料理は芸術などと一応呼ばれているけど食べると何も無くなってしまう。逆に作品が残る先生が羨ましい。」と言ったそうです。それに対して大観は、「無くなるほどの喜びは無い。絵が残ったばかりに心を痛めたことがどれだけあるか。」と返したそうです。また、とある陶芸家の方も晩年自分が若い頃に作った気に入らない茶碗を買い戻して割っていたそうです。
 世間には色んな職種がありますが、その仕事の成果が形として残るものと残らないものがありますね。残る代表的な職業と言えば、例えば建築家の作った建築物などが挙げられるでしょう。
 考えてみると、その仕事の成果が有形・無形、どちらの場合でも、それぞれお互いにメリット、デメリットがありそうですね。

 さて「おかあさんといっしょ」というテレビ番組を客観的に考えてみた時にこれがこのうちのどちらに当てはまるでしょうか。私は大きく傾いて「有形として残るもの」の方に属すると思うのです。
 そして、この放送を好んで見る者にとっては、これはかなりありがたいことです。
 テレビを漫然と見ていれば映像と音は垂れ流されるだけ。ただ録画をすればその放送内容はその時の時間を閉じ込めて密封保存することができます。
 また他の番組と違っておかいつは、常に定期性があるというところも非常に嬉しいところ。
 ほぼ毎日のようにオンエアされる番組。定期的に行われるコンサート等のイベント、そしてそのビデオ化。歌のビデオの市販、限定販売、全員プレゼント形式での供給。月に一度の専用雑誌(更には幼児雑誌)の発行。たまにですが、新聞や雑誌等のメディアにピックアップされることもあります。
 出演者、スタッフの方々の努力で作り上げられた番組やイベントの映像や音は、残念ながらその全てが市販化され記録として残るわけではないですが、その中でも選ばれた秀逸なものが市場に出回り、我々が保存しておけるのはとてもありがたい。

 ここで弘道お兄さんに焦点を合わせてみると、今年で10年目。今までの仕事の記録の蓄積が沢山あるのはこれはもう非常に喜ばしいこと。勿論、消耗品的な月刊誌等の発行物、順に絶版になるビデオ等、時間が経てば入手が困難にはなりますが、まだしもどこかに残っている。またメディア技術も日進月歩で発達しています(DVDの登場等)ので、昔に比べればメディアとしてその記録が残りやすい。大昔はVTRすら無かったわけですから、弘道お兄さんの活動期間は恵まれた時期なのかもしれないなぁと感じます。
 例えば、私は幸い1993年の就任当時の古い月刊誌を見れましたが、その中で新旧出演者の和やかな対談風景があり、これから番組に望む弘兄のフレッシュなコメントが読めて非常にありがたく感じました。

 今年10年目を迎えた記念として、まもなく弘道お兄さんご自身の体操本が市販化されます。これは今までの活動のまさに集大成。偉大な偉大な「記念碑」として非常に喜ばしい限りです。なるだけ多くの方々が入手され、そして、どうかその本の内容がずっと皆様の心の中に生き続けていきますように。

(※)出典:鉄人道場六三郎の味の極意を教えよう (21世紀ブックス/発行・主婦と生活社)

|←先頭  ←前  次→  末尾→|

 ホームコラム弘道お兄さん弘道お兄さん賛歌> その42